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Q1:

まずここ二十年、もしくは三十年、空手の世界における大きな変化について聞きたいと思います

矢原:―空手の変化というと、現代大きく分けて三つの方向へ進んだ感があります。私が空手を人生の生業とすることを決心してJKAの指導部へ入所してから約46年が経ちます。この間、空手の試合や普及活動等で日本国内はもとより世界中を回りながら感じたことは、世の中の社会現象に応じて空手の普及内容も変化するということです。物騒な社会においては武道空手、平和な社会においてはスポーツ空手、マンネリ化した社会ではショー的空手ということです。私が空手に目覚めた頃はまだ戦後間もないころでしたので空手といえば武道そのものでした。

ここ30~40年頃からは競技的空手が急激な勢いで世界に広がりました。2020年の東京オリンピックには念願叶って空手も参加できることになり、空手界はまるでお祭り騒ぎです。但し、不思議な現象というか、この10年ぐらい前から武道空手に興味を持つ空手愛好者も急増しています。特にKWFの武道精神、技術に対してその傾向が強いです。

1. KWFの組織

Q2:

2000年の時に、なぜ先生が自分の組織・KWFを創立しなければならないと考えたのでしょうか。

矢原:-空手本来の伝統武道の存続に危機感を持ったことが一番の要因です。 この存亡の危機を、世界の武道空手愛好者の共通認識とするための手段として、これを再興さす為にも世界的規模の組織網(KWF)の構築が必要と感じたのです。それ故に、そのコアとなる矢原空手の益々の独自性、つまり矢原が求道する一撃必倒の武道空手の技術の確立が絶対であった訳です。

・・・この様に奮い立たせたのは、私の中にある戦闘本能(血統)と、特殊な職業がその所以だったと思っています。私の血統というと、祖先が活躍した中世(室町時代後期の戦国時代)、私の母方の祖先は水軍(海賊ともいわれますが?)を率いる一族の総頭領でした。おそらく毎日戦いに明け暮れていたのでしょう。その結果、私の生まれ故郷である一帯、その領域の支配権を得て、或る時期栄えたと聞いています。故郷には私の祖先の歴史と功績を記念した大きな碑が今でもあります。

私の特殊な仕事とは、私は28才の時、JKAの指導部に在籍しながらボデイガードの会社を起業しました。徒手空拳の空手で日本中の悪を相手に戦ってやろう。その為にはいつ死んでもいいじゃないか。鍛えた空手術と精神力をこの職業で実践できる、更には困っている人を助けることができる、その結果大金を得る、それはまさに一石三鳥の利を得れる職業だったのです。しかし、当然ながら常に危険はつきものです。危険と対峙し、それらの場数を踏んで来た経験から「三点力法」というKWFの「一撃必倒」の技法を見出すことができたのです。必然的に私の空手を武器としての武術に改造しなければならなかった環境にあったのです。(現在、矢原の会社の職員は約300人)。

以上の様にKWFは独自の理念を掲げ、矢原美紀夫を中心に、マルコム・ドーフマン氏等によって2000年に設立され、現在世界58ヵ国に支部を有する組織になっています(組織は益々拡大の途上にある)。

KWFは流派を問わず真の武道空手を求めようとする空手道人の集いである。沖縄由来の松濤館流をそのルーツとするも、古典に偏らず、且つ形骸化されることなく現代感覚と伝統武道を融合させた一撃必倒の矢原流武道空手である。

Q3:

―「空手之道」の道は特別な意味があるのでしょうか。「空手道」とは何が 違いますか。

矢原: 基本的には同じですが、しかし、KWFの「空手之道」はもっと奥深い意味があるのです。単に「空手道」と呼称される固有名詞ではなく、「空手之道」の「乃」の意味は、或る目的を強調した接続詞です。「空手」と「道」の間に「之」を入れて敢えて区切った意図は、「空手という単なる格闘技だけを納めて終わるのではなく、それを修得しながら求めるべきその道」を指しています。 つまり、「道」とは、技術と精神を修得するその試練の道程であり、又その先の終着点までを意味しています。生涯空手として「空手の道」を「人生の道」にまで昇華さす事にあります。KWF会員全ての共通の目標でありたい。

Q4:

-現在のKWFの主な目的は何でしょうか。創立以来、目的が変わったでしょうか。

矢原: -「初志一徹」、私は一人の武道家としてその信念は全く変わってはいません。一撃必倒としての武道空手の再興の為に、私がその技術探求のコアとなり、これを成就して、広く同志を募り世界へ発信する。

KWFの矢原空手は、ポイント獲得競技ではなく、飽くまでも如何にしてこの身体を、しかも一切の寸鉄を帯びず一挙手一投足を武器化することにあります。 KWFは、現在世界58ヵ国に支部を有する組織にまで発展しています。しかし、まだまだ新興団体で、メンバー達(極一部の人達を除いて)の空手は十人十色様々で、まるで「烏合の衆」の如です。これら全てを鍛えなおしてKWF独自の武道精神との技術統一を図るこが最重要課題です。その為に先ず手を付けることが意識改革です。スポーツではなく、心技体を鍛えた「一撃必倒」の伝統武道なんだと・・・。

2. KWFの組織

基本

Q5:

-矢原先生、今のKWFの基本に関する研究はどういう方向に向かっていますか。

矢原:-「如何に一撃で倒すか」、これは頭で念じるだけでは相手を倒す事は出

ません。武術である以上、自己の五体を如何に活用して強い破壊力を発するか、これを成し得たのがKWFの矢原空手なのです。

その根源は「三点力法」にあります。

三点力法とは、五体の筋肉と関節が其々の肉体的運動力学によって瞬時に極限まで圧縮され、それによって蓄えられた力(エネルギー)が偶力の作用によって更に増幅され的確に唯一点の目標に集中させることにあります。

三点力法

(其の一)筋肉の限界までの捻りによる圧縮(特に腰を中心に)

 (其の二)関節モーメントの圧縮による屈伸力(特に下半身)

       
(其の三)これら筋肉の極限圧縮力と、関節の極限屈伸力を融合させて造られる最大力量

ビデオ   https://cutt.ly/3nyChhW

緻密に計算された肉体の運動連鎖はこの三点力法を活用する事によって「一撃必倒」を可能にした究極の矢原武術空手なのです。

Q6:

-圧縮・コンプレッションに関する質問をしてみたいと思います。昨年のトリノ合宿に参加した時、先生には力を集める能力があると思いました。でもそれは、肉体的な動きだけではありません。言い換えれば、先生は周りのエネルギーを自分のところに集めてから、段階的に、もしくは爆発的に放つことが出来ると感じました。どうでしょうか。

矢原:-その通りです。さて、真面目に答えましょう。既に説明していますが、私のその爆発的な動きはKWF独特の「三点力法」を正しく活用出来ているからです。筋力の働きと、関節の屈伸力を効果的に、且つ極限までコントロール出来る。錬磨することによって蓄えられたエネルギーを意識でき、しかもそのエネルギーが筋肉、関節を伝導して武器に伝わっている状況が高速度フィルムで見るように自身で分かるのです。超スローで力の伝わっている様子が分かるのですから、その過程でこのエネルギー伝導をコントロールするのは容易いことです。

私のこの三点力法による正しい運動連鎖が皆さんに爆発的な「動作や、極め」を感じさせたのでしょう。

Q7:

-先生から見れば、巻藁での稽古は大事でしょうか。

矢原:-巻藁で鍛えるのは非常に大事です。しかし、空手と言ってもポイント獲得を目的としている競技的空手では全くと言っていいほど巻藁は無意味ではないでしょうか。KWF空手のように一撃必倒がその全てである場合、巻藁の活用は基本中の基本で必要不可欠なものです。しかし、ただ拳ダコを造るだけではなく、「三点力法」の運動連鎖を実感し鍛えるための必須用具です。 破壊力を高めるには次に述べる三要素が重要です。

破壊力の優れた武器には「質量(密度)」・「重量」・「スピード」が欠かせません。巻藁を活用することによってそれら濃度・能力を高める事が出来ます。

「質量=密度」とは石のような硬さです。これが軟弱だと目標にぶつかった時 の衝撃に耐えられず砕け散ってしまいます。目標を貫く硬さ(密度)が 必要です。

「重量」とは、その物質に相応の重みが無くてはなりません。物質は、重くて堅くなければなりません。日本刀が良く切れるのは刀身の材質が軟鉄ではなく鋼だからなのです。しかも程よい重量があります。

さて、「スピード」ですが、せっかく重くて堅い物質を得ても、それをスローな速さで目標にぶっつけても跳ね返るばかりです。 強度なターゲットを貫くにはそれ相応のスピードが不可欠です。

巻藁を活用して三点力法の正しい運動連鎖で強靭な武器を製造する訳です。例えて言えば、「三点力法=三要素」は、「高性能のピストル=高性能の弾丸」の関係と同じと解釈して捉えれば分かりやすいと思います。

組手

Q8:

-KWFの空手の本質は「一撃必倒」であるのに、大会を開くことにしました。なぜでしょうか。

矢原:-非常に大事な質問です。結論から言うとKWFは試合をやります。

しかし、試合と言っても現在主流になっている競技的スポーツ空手のそれではありません。単にポイントを取って一喜一憂する試合ではなく、KWFは飽くまで一撃必倒でなければならない。KWFの技法(三点力法)によって瞬時に溜められたエネルギーを、定めた目標へ精魂込めて一撃のもとに極め込む。相手の体内で炸裂さすか、皮一枚で炸裂さすか・・・この様に自在にコントロール出来る技量をもって相手と試し合う。チョコチョコ軽い技を出し合うのではなく、真剣で相手と殺し合う時の気持ち、攻撃チャンスは一回、失敗することは自身の命を絶つことなのです。一回のチャンスの攻撃に命を掛ける、それは一撃必倒でなければならない。KWFの自由一本組手は心技共にこの心境が大事です。この方式がKWF本来の試合形態です。

競技的とKWFの両者の試合形態は一見同じに見えますが、その内容と意味合いが全く違っていることがこれで理解して頂けたと思います。 修行する者は「井の中の蛙」ではあってはいけない。それは自己満足に終わります。堂々と大衆の面前で鍛えた技を試し合う。その事によって己の技量を計り、また勝負の心を養うことが出来るのです。決闘が許されない現代においてその技術を向上さすため、仕方なくKWFはこの方法をとっています。

Q9:

-「空手に先手なし」とよく言いますが、その概念は、攻撃を促す「一本勝負」と矛盾してはいないでしょうか。

矢原:―面白い質問です。その観点からするとこれは大いに矛盾しています。
今の競技的空手では全てがポイント獲得です。空手としての正しい技、強さよりもスピードとタイミングそして先制攻撃が重要視されている感があります。そのスポーツ競技に「空手に先手なし」を当てはめるのはナンセンスです。但し、KWFは全く矛盾していません。何故ならKWFの空手は武道だからです。 武術は一つ間違うと殺人マシンになります。よって凶暴性を制御する理性が必要なのです。古来、空手は「君子の武術」とされ、決して好戦的であってはならない。「空手に先手なし」は正に戒めの言葉なのです。但し、やむを得ず戦うときは一撃必倒でなければならない。これが伝統的武道の真髄なのです。参考までに「KWFの武道理念」を解説させて頂きます。

・・・「技心一如」武道では技を離れて心の修養はなく、心の修養なくしては単なる闘技となり動物的本能を満たすだけに終わってしまう。極めつくした技を通じて勝負の心を学び、ついには平常心是道にまでその心を及ぼさなければならない。生涯武道として「空手の道」を「人生の道」にまで昇華させることをその目標とする。・・・

Q10:

-KWFでは、追い突きも追い蹴りも一本です。これについて説明して頂けますか。

矢原:-これらの技が一番強い破壊力を秘めているから一本技としているのです。その理由は、これら遠い間合いは近い間合いより加速の増幅が図れます、破壊力に不可欠な三要素であるスピード、重量を効果的に造る為の条件である適正な間合いを有しているのが最大の理由です。

Q11:

-形の練習をする時、必ず敵を想像して練習しなければならないのでしょうか。想像するということは、具体的にどういう意味ですか。技の結果まで想像すればいいのでしょうか。

矢原:-それは空手がスポーツではなく武術だからなのです。敵に触合う状態から、対接近戦などこれら攻防の技が無駄なく納められているのが形なのです。武術である以上実際に使えなければ無意味です。その為には戦うことを常に想定し、一つ一つの動作に命のやり取りがなければなりません。発祥当時の空手には今のような多彩な自由組手はありません。今で言えば単純すぎますが、例えば、頭髪を掴れたらどうするか?胸ぐらを掴れたらどう守るか等々、このレベルの護身方法がその頃の空手であり、その対応方法が常の練習だったのです。時代を重ねるごとにその対応方法も高度になり、土着の喧嘩レベルが、徒手空拳の格闘技として一挙手一投足を鍛え、或は身近にある物(例えば農具)などを武器に転用したり、次第に高度な格闘技術として形成されていったのです。

私がJKAの研修生時代、主席師範の中山先生からよく言われた言葉が「空手は形に始まり形に終わる」でした。

一つの形に三年を費やしなさい・・・と、形の中の技を完全にマスターするにはひたすら取組んでも三年の年月が必要と言われました。私の経験でいうと、得意技の「雲手」は10年以上掛けて実際に使えるようになりました。地に伏せ、宙に舞って、これらほとんどの技を実戦で使いこなしました、実戦ですよ・・・。実戦で使えるまでには実戦以上に真剣に敵の攻撃を仮想し、繰返し繰り返し反復練習をしたものです。JKA時代の私は、試合前30日間ぐらいは得意の「雲手」を一稽古50回ぐらい休みなく繰り返し練習したものです。

私の「雲手」には魂が宿っているとよく言われました。それは演じている私の意識が常に実戦の中にあったからだと思います。

攻防の理を有せず、ただ華麗に舞っているのは武術ではなくそれは舞踊なのです。

Q12:

-分解はいつから練習すればよいのでしょうか。初心者でもならえますでしょうか。

矢原:-私が指導する場合、生徒が一つの形を覚え後に必ず其々の技を分解して解説します。何故なら武術だからです。正しい分解が理解できなければ、その攻防の動作も間違ったものになります。正しい攻防が理解できて正しい形を覚えるのです。それは初心者であっても同じです。

Q13:

-先生の意見では、長い間一つの形に集中するか、色々な形を練習するか。

矢原:-真剣に考えるなら、それは時代背景が関係してきます。現代に於いては武術を修行しているといっても常在戦場ではないのです。伝統空手を学ぶのであれば実戦を想定して演じる事が重要ですが、通常の人が没頭しすぎるのも如何かと思います。

武術の意識を常に持ちそしてその観点から楽しむ。いろんな形を沢山熟しながら生涯空手とするのがよいのではと思います。

3. 一般的な質問

Q14:

-先生は合宿で「先の先」という概念に触れました。実戦の経験が浅い人にはどういう手段で相手の気持ちを感じられるようになれるのでしょうか。

矢原:-兎にも角にも場数を踏むことです。そのことによって自然に相手の動きを読みとることが出来るようになります。私の仕事の経験から、武器を構えた相手と向合った時など、これは本気か、ハッタリか、無意識の内に感じ取っています。相手との間合いのハザマで、僕の凄まじい気迫に対する反応で感じるのです。戦う時の調子(リズム)には、「先の先」「後の先」「後の後」の三つのテンポがあります。

Q15:

-時間が経つと同時に、先生の教え方が変わったと思いますか。

矢原:-若いころはライオンの如しで、子を谷へ落として這い上がって来たもののみを育てる。導く意識はあってもその育てる方法が全く違っていたと思います。つまり三人の弟子がいたとします。彼等全員を潰す訳です。それでも着いてくる根性のある者を弟子としていたのです。私がJKの研修生時代に体験した苦しみと恐怖を、同じように弟子に対して行っていた訳です。 今は、厳しさは同じでもモチベーションを持たして育て導くやり方です。

Q16:

-最後の質問ですが、伝統空手を習っている人達のためのアドバイスを聞きたいと思います。

矢原:―国民性もありますが、海外での指導で感じる事は、基本稽古をいやがりすぐ組手に夢中になる。空手としての基本技が仕上がっていないこれらの組手は一見メチャクチャです。何をもって空手なのか疑問符が付きます。空手の組手は空手の技を使えて空手なのです。

私の空手は、兎にも角にも基本です。但しフォウムと正しい肉体の運動連鎖を 修得し、三点力法で強度を増していきます。鋼(ハガネ)を造るのと同じように、鉄を焼いては叩いて焼いては叩いて何千回と繰り返し鍛えていくのと同じように。

正しいフォウムとその運動連鎖は五体から造られるエネルギーを無駄なく目標に集中さすために必要不可欠の動作なのです。一つ一つ強い武器を造り、それを持って戦う事が最も望ましい武術空手なのです。

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